信仰の柱


  • アッラーへの信仰

    これは、アッラーの他には真に崇拝すべきものなど存在せず、 かれにはいかなる共同者や対抗者、仲間なども存在しないことを 信じることです。またかれこそがこの全宇宙の創造主であり、そ こにおいてあらゆる物事を司られるお方はかれ以外には存在しな い、ということを信じることです。そして、いかなる存在もかれ のお許しなくして存在したものなどはなく、かれの御意志なしに は何事も発生しません。アッラー(y)はこう仰いました: かれにこそ創造と全ての権限は属する。万象の主アッラー の崇高さよ。 する。万象の主アッラー の崇高さよ。(

    アッラーはその主性において、いかなる共同者も有しません。 つまりアッラーこそは唯一の創造主・供給者であり、宇宙の諸事 をお望みのままに司られるお方なのです。アッラー(y)は仰ってい ます: 言え(ムハンマド よ)、「私のサラー(礼拝)も献身も、 生も死も、ひとえに万有の主アッラーゆえである。かれには いかなる共同者もない。私はこのように命じられたのだ。そ して私はムスリム(アッラーの教えに従って受け入れた者) の先駆けである。」 (クルアーン 6:162-163)

    アッラーはかれのみが独占する権威において、いかなる共同者 も有しません。ゆえに全ての崇拝行為は、かれに向かって捧げな ければならないのです。アッラー(y)はこう仰りました: あなた以前にわれら(アッラーのこと)が遣わした使徒の 内で、「われ(アッラーのこと)の他に神はない。だからわ れを崇拝するのだ。」という啓示を与えなかった者はいなか ったのである (クルアーン 21:25)

    またアッラーはその御名と属性において唯一であり、いかなる ものもそこにおいてかれ独特の特質を共有することはありません。 アッラー(y)はこう仰りました: そしてアッラーにこそ美名が属するのであるから、それを もってかれに祈願するのだ。かれの美名をないがしろにする ような輩は放っておくがいい。 (クルアーン 7:180)

    またこの信仰は、アッラーのみが崇拝に値する唯一の存在であ るということを意味します。ゆえにムスリムは、かれを差し置い てかれ以外の何かに全面的に依拠したり、または祈願したり、あ るいは災厄の除去や願い事の成就にあたって、かれ以外の何かに 祈願したりすることを禁じられます。全ての崇拝行為に値するの は誰でもなく、アッラーのみなのです。

    またこの信仰は、アッラーにのみ最善かつ最高の名称と属性が 帰せられる、ということをも意味します。ムスリムはそれらの具 体的意味を必要以上に模索したり、または歪めたり否定したりす ることなく信仰することを要求されています。かれこそは、あら ゆる欠陥から遠く無縁な存在なのです。アッラー(y)はこう仰りま した: かれ(アッラー)に似たものは何一つない。にも関わらず、 かれは全てを聞き、ご覧になられるお方なのである。 (ク ルアーン 42:11)


  • 諸天使への信仰

    これはアッラーの被造物の一つである、天使の存在を信仰する ことを意味します。アッラー以外に彼らの正確な数を知る者はあ りません。かれらは幽玄界に属しており、アッラーを崇拝し、そ してかれに服従するために創造されました。アッラー(y)はこう 仰っています: メシア(イエス)は、アッラーのしもべであることを慢じ たりはしない。またかれのお傍に召されている天使たちも、 同様である。… (クルアーン 4:172)

    アッラーは各天使に、特有の任務を課されました。かれら はただ、自分たちに命じられたことを遂行するのみなのです。 アッラー(y)は仰りました: …その(地獄の業火の)上には厳しく荒々しい天使たちが いる。彼らはアッラーが命じられたことに逆らうこともなく、 そのご命令を遂行するだけなのである。(クルアーン 66: 6)

    天使たちはアッラーの共同者でも、仲間でも、対抗者でもあり ません。またアッラーの子供などでもありません。しかしムスリ ムは、かれらを敬愛しなければなりません。アッラー(y)は仰っ ています: そして(不信仰者たちは)言う:「慈悲深いお方(アッラ ーのこと)は子をもうけられた。」かれは(そのようなこと とは)無縁な崇高なるお方である。彼ら(天使たち)は栄誉 高いしもべであるのだ。彼らはかれ(アッラーのこと)に先 んじて喋ることもなく、ただかれの命を遂行するのみである。(クルアーン 21:26-27)

    またその内のある者はクルアーンとハディース(預言者ムハン マド の伝承)の中で言及されており、またある者は言及され てはいませんが、ムスリムは彼ら全てを包括的な形で信仰しなけ ればならないとされています。


  • 諸啓典への信仰

    アッラーの諸啓典への信仰とは、アッラーがそれを人類に伝達 させるべく、その使徒たちに啓典を下したということを信仰する ことです。これらの啓典は全て、啓示された時点では真実以外の 何ものをも含んではいませんでした。それらはアッラーが唯一で あり、かれ以外には創造者も真の管理者も所有者もなく、かれに こそ全ての美名と卓越した属性が属している、などといったメッ セージが示されています。以下に挙げるのは、代表的な啓典の 数々です:

    • イブラーヒーム(アブラハム)とムーサー(モーゼ)の書

      クルアーンはこれらの書の中に、いくつかの宗教的基礎を簡潔な 形で提示しています。アッラー(y)は仰りました: それともムーサーの書にあることが、告げられなかったと いうのか?そして(信託を)完遂したイブラーヒームのそれ も?魂は他の魂の重荷を負わされることはない。そして人間 は、自らが努力したもの以外のものを得ることはない。彼は 自分の努力を目にするであろう。それから十分な報いを受け るであろう。そして行き着く先は、あなたの主以外の何もの でもないのだ。 (クルアーン 53:36-42)

    • タウラート(トーラー)

      タウラートはムーサー (y) に下さ れた、聖なる書です。 至高のアッラーはこう仰いました: 実にわれら(アッラーのこと)は、正しい導きと光を宿し たタウラートを下した。アッラーに服従した預言者たちは、 それでもってユダヤ教徒たちを裁いていたのだ。そしてまた 学識豊かで敬虔な者たちや律法学者らも(そうした)。それ は彼らがアッラーの書(タウラート)の保持を託され、また (そこに記されていることに対する)証人であったためであ る。ゆえに人々を恐れず、われ(アッラーのこと)を畏れよ。 僅かな値段でもってわがみしるしを売ったりしてはならない。 そしてアッラーの下されたもの(イスラーム法)以外のもの で裁く者こそは、不信仰者なのである。 (クルアーン 5: 44)

    • ザブール(詩篇)

      ザブールは預言者ダーウード(ダビデ)に 下された書です。アッラー(y)は仰いました: …そしてわれら(アッラーのこと)はダーウードに、詩篇 を下した。 (クルアーン 4:163)

    • 福音書:

      福音書はイーサー(イエス)に啓示された聖典です。 アッラー(y)はこう仰りました: そしてわれら(アッラーのこと)は、それ以前に下された タウラートの中にあるものを確証するため、マルヤム(マリ ヤ)の子イーサーに彼らの跡を踏襲させた。そしてわれらは、 彼に正しい導きと光を宿した福音を授けた。それはそれ以前 に下されたタウラートの中にあるものを確証し、アッラーを畏れる者たちへの導きと訓戒とするためである。 (クルア ーン 5:46)

      ムスリムは全ての啓典を信じ、またそれらが本来アッラーから 下されたものであるということを信仰しなければなりません。但 しそれらの啓典は特定の時代に特定の民に下されたものであるた め、ムスリムがこれらの法を堅持することは許されません。福音 書の中には、イーサー自身がこう言ったと記されています: 「私はイスラエルの系譜の、迷えし羊たちにのみ遣わされた のである。」 (マタイ伝 15:24)

      またクルアーンは預言者ムハンマド (y) が将来遣わされるこ となど、タウラートと福音書の中に見出されるある種の内容につ いても言及しています: (アッラーは)仰った:「わが懲罰は、われが望む者に降 りかかるのだ。そしてわが慈悲は全てのものを包み込んでい る。ゆえにわれは(われを)畏れ、ザカー(浄財)を払い、 われら(アッラーのこと)のみしるしを信じる者たちにそれ を授けよう。」タウラートと福音書の中に記されているのを 彼ら(啓典の民)が見出すところの、文盲の使徒、預言者 (ムハンマド)に従う者たち。彼こそは善を勧め悪を禁じ、 彼らによきものを合法なものとし、悪しき物を彼らに禁じる。 そして(彼は)彼らが背負っていた重荷と、彼らにはめられ ていた枷を取り除くのだ。ゆえに彼を信仰し、また敬いかつ 援助して、彼と共に下された光に追い従う者たちこそは、真 の成功者なのである。(クルアーン 7:156-157)

    • 聖クルアーン

      ムスリムは、クルアーンが天使ジブリール(ガ ブリエル)を通して預言者ムハンマド (y) に下された、アッラ ーの御言葉であるということを信仰しなければなりません。また ムスリムの信仰において、クルアーンこそはそれ以前の全ての啓 典に取って代わる最後の啓典です。ゆえにムスリムは、人類がク ルアーンとそれが下された者(預言者ムハンマド )、そしてそ れがもたらした宗教(イスラーム)を信じなければならない、と 信じています。


  • 4) 諸使徒への信仰

    アッラーが人類の中で最も優れた者を使徒としてお選びになり、 そしてその使徒たちがアッラーへの崇拝と服従、及びアッラーの 宗教と唯一性を確立するための特定の法規定を携えて被造物に遣 わされた、ということを信じることは、ムスリムにとっての基本 的信仰です。アッラーはその使徒たちに、人々に対してメッセー ジを伝達するよう命じ、彼らがその後アッラーに対して「私たち には何のメッセージも届いていない」というような弁解が出来な いようにされました。

    またアッラーは、使徒という任務を課されるにあたり、敢えて 人間をお選びになりました。使徒たちはそれ以前の使徒が携えて 来た法規定と宗教を確証し、そこへと民をいざなったのです。歴 史上遣わされた使徒と預言者は数多く、その正確な数はアッラー 以外誰も知りません。アッラー (y) はこう仰っています: そしてわれら(アッラーのこと)はあなた以前にも使徒た ちを遣わした。彼らの内のある者はあなた(ムハンマド ) に語って聞かせたが、ある者は語って聞かせなかった。 (クルアーン 40:78)

    そしてムスリムは彼ら全員を信じなければならず、また彼らが 超自然的存在などではなく人間であったことを信じます。アッラ ー(y)は仰りました: そしてわれら(アッラーのこと)があなた(ムハンマド )以前に、人間の男性以外の者に啓示を与えることはなかっ た。もし(そのことを)知らなければ、訓戒の民(ユダヤ教 徒とキリスト教徒)に訊ねてみよ。またわれら(アッラーの こと)は彼ら(使徒と預言者)を、食事も摂らないような肉 体にはしなかったし、不死者ともしなかった。 (クルアー ン 21:7-8)

    アッラーはイーサー(イエス)に関して、クルアーンの中で こう仰っています: マルヤム(マリヤ)の子メシア(イエス)は、それ以前に も数々の使徒が過ぎ去ったところの、一人の使徒に過ぎないそしてその母親は(姦淫など犯してはいない)正直者である。 彼らは(人間であるがゆえに)食事を摂っていたのだ。見よ、 われら(アッラーのこと)が彼らに対して、いかにみしるし を明らかにするかを。そして見よ、彼らが(真理から反れ て)どこに背き去ってしまうかを。 (クルアーン 5:75)


    ムスリムは全ての預言者と使徒を信じます。彼らの内のある者 は信じるが、別の者は信じない、といった考えはイスラームにお いて不信仰に陥ることを意味します。アッラー (y) は仰りました: アッラーとその使徒たちを信じず、アッラーと彼らの間を 分け隔てようとする者たち。そして「私たちは(使徒たち の)これこれの者たちは信じるが、他の者たちは信じな い。」などと言って、その(信仰と不信仰)間に道を見出そ うとする者たち。彼らこそは真に不信仰者である。そしてわ れら(アッラーのこと)は不信仰者たちに対し、屈辱の懲罰 を用意しておいたのだ。 (クルアーン 4:150-151)

    最初の使徒はヌーフ(ノア)で、最後の使徒がムハンマ ド(y)です。(s)
    最後の日への信仰


  • 最後の日への信仰

    イスラームでは、この世界での生活がある日終局を迎えるとい うことを信じます。アッラー (y) はこう仰りました: かれ(アッラー)の御顔を除く(地上の)万象は滅び去る。 (クルアーン 55:26)

    この信仰には、以下のような要素が含まれます:

    • 境界上の生を信じること:

      境界とは、人が死んでから最後の日 を迎えるまでの時間帯を意味します。信仰者はそこにおいて安寧 の時を過ごしますが、不信仰者は懲罰を受けます。アッラー(y)は 仰りました: (それは)彼らが(死後復活の時が来るまで)朝に夕に晒 される業火。そして審判の日には、(アッラーが天使たちにこう命じられて言われる)「ファラオの一族を最も過酷な懲 罰の中に投げ込むのだ。 (クルアーン 40: 46)

    • 復活を信じること:

      アッラーは人々を全裸で裸足のまま、そし て割礼されていない状態で復活させます。アッラー(y)は仰りまし た: 不信仰者たちは、(死後)蘇らされることなどはないと思 い込んでいる。言え、「いや、私の主にかけて。あなた方は 蘇らされ、(現世での)所業を通達されるのだ。そんなこと はアッラーにとって他愛もないことである。 (クルアー ン 64:7)

    • 召集を信じること:

      アッラーはその日全ての被造物を召集し、 現世での行いの清算のために呼び集めます。アッラー(y)はこう仰 りました: そしてその日われら(アッラーのこと)は山々を動き回ら せ、あなたは大地(に秘められた全てのもの)が明らかにな るのを見るであろう。そしてわれらは彼らを召集し、誰一人 としてそれを免れる者はいない。 (クルアーン 18:47)

    • その日人は各自ふさわしい位階を与えられ、アッラーの御前に 連れて来られるということを信じること:

      アッラー (y) は仰ってい ます: 彼らは列を成して、あなたの主の御前に連れて来られる。 (アッラーは仰る:)「あなた方は、われら(アッラーのこ と)が最初にあなた方を創造したように、われらのもとにや って来た。いや、あなた方は、われらがあなた方に(復活と 召集の)約束を定めなかったと思い込んでいたのだ。」 (クルアーン 18:48)

    • その日人の手足までもが、現世でのその行いを証言するという ことを信じること:

      アッラー y) は仰りました: そして地獄の業火までやって来ると、彼らの聴覚と視覚と 皮膚は、彼らが(現世で)行っていたところの悪行を証言し 始める。(彼らは)自らの皮膚に向かって言う:「どうして私たちに不利になる証言をするのだ?」(彼らの皮膚は)言 う:「あらゆるものを喋らせることのお出来になるアッラー が、私たちを喋らせられたのです。」かれ(アッラー)はあ なた方を最初に創られたお方。そしてあなた方は彼の御許へ と還るのだ。またあなた方は(現世において)、あなた方の 聴覚と視覚と皮膚があなた方(の悪行)を目撃するのを避け ることは出来なかった。そしてアッラーがあなた方の行いを よくご存知でないと、高を括っていたのだ。(クルアーン 41:20-22)

    • その日尋問されることを信じること:

      アッラー(y)はこう仰りま した: (アッラーは天使たちに言う:)「そして彼らを止めよ。 彼らは(現世での所業を)尋問されるのである。」(天使た ちは彼らに言う:)「一体どうしたというのか?(現世でそ うしていたように)あなた方は(この困難の中で今)助け合 わないのか?」いや、(そうすることは出来ない。)その日 彼らは完全に降伏しているのだ。 (クルアーン 37:24)

    • 地獄の業火に架けられた橋を渡らされることを信じること

      全 ての者がそこを渡らされることになります。アッラー (y) は仰りま した: そしてあなた方は皆地獄(の架け橋)にやって来る。それ はあなたの主が必ずご遂行されることなのである。(クル アーン 19:71)

    • 現世での行いを秤にかけられることを信じること:

      その日アッ ラーは人々を清算のために召集し、善行者‐正しい行いや信仰、 使徒たちへの信奉などを遵守していた者‐にはそれにふさわしい ものでもって報います。そして悪行を行っていた者には、懲罰で もって報いるのです。アッラー (y) は仰っています: そしてわれら(アッラーのこと)は審判の日のために公正 な秤を設けるゆえ、魂はいかなる不正も被ることがない。そ してからし種一粒ほどの重さ(の行い)でも、われらは提示しよう。われらは清算者として完全なのである。 (クルア ーン 21:47)

    • 現世での行いの帳簿を受け取ることを信じること:

      アッラー (y) は仰りました: それでその帳簿を右手に受け取る者は、その清算を易しく されるだろう。そして嬉々として(天国の)仲間の所へ向か うであろう。一方帳簿を背後から受け取る者は、その(来世 での)破滅を悔いるであろう。それから燃え盛る炎の中に連 れて行かれるであろう。 (クルアーン 84:7-12)

    • 人は報いを受けるということを信じること:

      つまり永遠の来 世において、天国か地獄かを与えられるということです。アッラ ー (y) はこう仰っています: 啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)とムシュリク(シ ルク13を犯す者)たちの内で(真実を)隠蔽し認めない者たち は、地獄の業火に永遠に留まることになる。彼らこそは創造 物の内でも最悪の者たちなのだ。そして信仰し善行に勤める 者たちこそは、創造物の内でも最善の者たちである。彼らの その主の御許での報奨はその下を河川の流れるエデンの園で あり、そこに永遠に暮らすのだ。アッラーは彼らにご満悦で あり、彼らもまたかれに満悦する。これこそ(現世で)その 主を畏れていた者の報いなのだ。 (クルアーン 98:6-8)

    • 預言者の水飲み場14と彼の執り成しを信じること

      そして、預 言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝わ るそれ以外の全ての事象について信じることです。


  • 定命への信仰

    ムスリムは、アッラーが全ての物事が存在する以前から、そし てそれらが存在した後のことも全てご存知であられるということ を信じます。ゆえにかれはその知識とご意志において、全ての存 在を存在せしめたのです。アッラー (y) は仰りました: 実にわれら(アッラーのこと)は、定命をもって全てのも のを創った。 (クルアーン 54:49)

    過去や現在、未来に関わりなく、発生する全ての事象はアッラ ーの御知識のもとにもたらされます。全てはかれのご意志と裁定 に沿っているのです。預言者ムハンマド()はこう言いました: しもべは良いことであれ悪いことであれ定命を信じ、また 既に起こったことが起こるべくして起こり、起こらなかった ことがそもそも起こることにはなっていなかったということ を知るまで、信仰したことにはならない。 (アッ=ティル ミズィーの伝承)

    しかしこの信仰が、人は努力しなければ物事を達成しないとい う事実と矛盾することはありません。たとえば子供が欲しいので あれば、結婚するなどのある種の物事を行わなければ、その目的 を達成出来ません。そして彼がその能力において可能な全てのこ とを行ったとしても、彼はその目的を叶えることが出来るかもし れませんし、あるいは出来ないかもしれません。これは人が何ら かの目標を達成するために行うことのみが、それが実現するため の真の理由ではないことを知るためなのです。真の理由とはアッ ラーのご意志以外の何でもなく、それら目的達成の手段もまたア ッラーからの神的裁定によるものなのです。ある時預言者ムハン マド (y) は、ある者にこう訊ねられました: 「アッラーの使徒よ。私たちは薬をもって治療し、クルアー ンでもって魔除けを行いますが、果たしてこれらはアッラー の定命を覆すのでしょうか?」彼は応えました:「それら自 体がアッラーの定命の内なのである。」 (アル=ハーキムの 伝承)

    飢えや渇き、寒さなどもまた定命によるものです。そして人は 食物の摂取によって飢えを、飲料の摂取によって渇きを、暖を取 ることで寒さを凌ぐことが出来ます。人は飲食や暖を取ることな ど、既に定められている物事によって飢えや渇き、寒さなどから 身を防ぐことが出来るのです。つまりある種の定命でもって、別 の定命を防ぐのです。

    そして人間は、可能な限りの手段を尽くしてこの目的を達成す るべきですが、このことも定命への信仰の一部と見なされるので す。この信仰により人は、物事がいかなる結末を迎えようとも満 足するようになります。また定命への信仰は、ストレスや心配、 悲しみなどに代わり、心の平安と精神の安定をもたらします。不 安や心配は多くの病の原因となりますが、この信仰はこのような 病に治療法と予防法を提供しているのです。アッラー y) はこう仰 っています: 地上で、そしてあなた方の内に起こるいかなる災難も、そ れが創造される前にアッ=ラウフ・アル=マフフーズ(護ら れた碑版)の中に定められていないことはないのである。実 にそのようなことはアッラーにとって容易いことなのだ。そ れはあなた方が過ぎ去ったことに後悔せず、(アッラーが) あなた方に与えられたものにおいて悦に入らないようにする ためである。アッラーは全ての自惚れ屋と高慢な者を愛でら れない。 (クルアーン 57:22-23)

    定命への信仰は、アッラーがこの宇宙に創造したものの探索や 研究へと促します。たとえば病気などの災難は人にその治療法を 模索させますし、そしてそれはアッラーがこの宇宙に創造した医 療の源泉を探索することによって得られるのです。

    またこの信仰により、降りかかった災難の苦しみや、過ぎたこ とに関しての後悔の念を抑えることが出来ます。財産を失うこと は一つの苦難ですが、人がそれによって悲しめば二つの苦難‐つ まり災厄による苦難と、悲痛による苦難‐を蒙ったことになりま す。しかし定命を信じる者はそれが起こるべくして起こったと信 じているため、どのような結果になろうともそれを喜んで受け入れるものなのです。預言者ムハンマド (y) はこう言っていま す: 「アッラーは脆弱な信仰者よりも、強い信仰者を愛でられる。 そしてそのいずれも善いのである。あなたを益する行為に熱 心であり、かつアッラーのご援助を乞うのだ。そしてそこに おいて怠慢であってはならない。そしていかなる災厄があな たを襲っても、“ああ、もしあのようにしていたらなあ”な どとは言わず、“これはアッラーからの定命。かれはお望み のことをなされる”と言うのだ。というのも“もし”は、シ ャイターン(悪魔)の行いに通じる扉であるからである。(ムスリムの伝承)

    定命への信仰はアッラーへの依存心を高め、被造物に対する恐 怖感を取り除きます。教友イブン・アッバース()はこう言いまし た:

    「ある日私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝 福あれ)の後ろにいました。彼は私にこう言いました: “少年よ。お前にある言葉を教えてやろう。それを心に書き 留めて堅守するのだ。そうすればアッラーがお前を護って下 さるだろう。アッラー(があなたに命じ禁じられること)を 守るのだ。そうすればかれを眼前に見出すであろう。何かを 乞うときはアッラーに乞うのだ。そして援助を求める時はア ッラーに援助を求めるのだ。そして知るのだ。全ての者があ なたを益しようと一丸になっても、アッラーがあなたに対し て既にお定めになられたこと以外は何一つあなたを益するこ とがない。また全ての者があなたを害しようと一丸になって も、アッラーがあなたに対して既にお定めになられたこと以 外は何一つあなたを害することがない。(定命の)筆は既に 置かれ、(それが書き留められる)ページ(のインク)はも う乾いてしまったのである。”」 (アフマドとアッ=ティル ミズィーの伝承)

    定命への信仰とはある種の人たちが考えるように、努力やその ために必要なこともせずに、ただアッラーに頼り切ることではありません。預言者ムハンマド (y) はある時、このように尋ねら れました: 「私はラクダをつないでアッラーに全てを委ねるべきですか、 それともそれを放してアッラーに全てを委ねるべきです か?」彼は言いました:「それをつないでアッラーに全てを 委ねよ。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

    また彼は、こうも言っています: 「私の魂がその御手に委ねられているお方にかけて。外に出 かけて木を切り、それを縛って背中に運ぶことの方が、人に 物乞いするよりもよいことなのである。それにより、彼が金 銭を得るかどうかはまた別の話なのだ。 (アル=ブハーリ ーの伝承)