この世の生活の実相
アッラー(y)は私たちにこの世の真実を明らかにされ、またそれ が過ぎ去ってゆく影のようなものである、と仰られました。 現世での生活が遊興と享楽と装飾であり、あなた方の間の 財産や子孫の自慢やその数の競争であることに過ぎないこと を知るのだ。それはちょうど慈雨が作物を実らせて農夫を (一時的に)喜ばせたものの、それからそれが枯れて黄色く なり、やがて朽ち果てるようなものである。そして来世にこ そは(不信仰者に対する)アッラーからの厳しい懲罰と、 (信仰者に対する)お赦しとお悦びがあるのだ。実に現世と は偽りの享楽に他ならない。 (クルアーン 57:20)
またアッラー(y)は、この世とは試練である、とご説明されてい ます。そして現世の享楽は人をそこに溺れさせ、アッラーを想起 することを忘れさせてしまう、とご警告されています。アッラー (y)は仰りました: それゆえあなた方が(現世において)授かるものは、現世 の生活での(束の間の)享楽に過ぎない。しかし信仰し、ア ッラーにのみ全てを委ねる者にとっては、アッラーの御許に あるものこそが最善であり永劫なのである。 (クルアーン 42:36)
またアッラー(y)は、この世は永遠などではなく、むしろ「永遠 の生活へと至る通過点」であるのだ、と仰っています。この世の 生活はちょうど、豊饒な土地の畑の一画のようなものです。人は そこにおいて、自分が植えた分だけのものを収穫します。もしそ れが善いものであれば善いものを収穫し、悪いものであれば悪い ものを収穫することになるのです。アッラー(y)はこう仰っていま す: 彼らに、現世の生活に関しての譬えを説いてやるのだ。そ れはまるでわれら(アッラーのこと)が天から下す、(雨) 水のようなもの。大地の植物はそれを取り入れ(成長した 後)、やがて枯れ果て、風で跡形もなく吹き飛ばされてしまう。アッラーはいかなることも可能にされるお方である。財 産と子孫は現世の生活における虚飾。しかし永劫の善行こそ は、あなたの主の御許で最善の報奨であり、最善の希望なの である。 (クルアーン 18:45-46)
この世は来世に比して非常に些細なものであるゆえ、アッラー (y)はそこにおいて信仰者にも不信仰者にもお恵みになられます。 アッラー(y)は仰ります: またイブラーヒームが、こう言った時のこと(を思い出 せ):「主よ、ここ(マッカ)を平安な町とし、その住民の 内、アッラーと最後の日を信仰した者たちに果実をお恵み下 さい。」(アッラーは)仰った:「われは信仰を拒否した者 にも、暫しの楽しみを与えよう。それからやがて、火獄の懲 罰を強いるのだ。その行き所の何と忌まわしいことであろう か。」 クルアーン 2:126)
またアッラー(y)は、こうも仰っています: われら(アッラーのこと)は彼らにも、そしてまた彼らに も、いずれの者にもあなたの主の賜物を与えてつかわそう。 そしてあなたの主の賜物は、禁じられてはいないのだ。見よ、 われらが(現世において)いかに彼らを互いに優越づけた か?そして来世においては(それより遥かに)大きい位階と 優劣(の差)があるのだ。 (クルアーン 17:20-21)
教友の一人、サハル・ブン・サアド はこう言っています: 「アッラーの使徒 はズルフライファを通り過ぎた際、太っ た羊の死骸を見ました。そして、こう言いました:“この羊 は、もう飼い主にとって用無しであろう?”教友たちは言い ました:“ええ。”彼は言いました:“私の魂がその御手に 委ねられているお方(アッラーのこと)にかけて。この世は アッラーにとって、この飼い主(にとっての羊)よりも無意 味なものである…。もしこの世がハエの羽一枚にでも値する のであれば、アッラーは不信仰者に一口の水をもお恵みには なられないであろう。” (アル=ハーキムによる伝承)
またアッラー(y)は、人に来世とそこにおけるお恵みを希求する ことを奨励しています。かれ(y)はこう仰いました: いや、あなた方は(来世よりも)現世の生活を好んでいる。 来世こそは最善かつ永劫であるというのに(クルアーン 87:16-17)
また預言者ムハンマド は、こう言っています: 「アッラーにかけて。この世に対する来世というものは、こ こ‐そう言って、彼は海を指差しました‐に一本の指を入れ るようなものである。そこから指を抜き、そこに付着するも のを見てみるがよい(つまり現世には、そこに付着した液体 ほどの価値しかないということ)。」(ムスリムの伝承)
しかし来世におけるお恵みを享受出来るのは、被造物の中でも アッラー()が特別にお選びになられ、ご満足された最善の者た ちのみなのです。アッラー(y)は仰っています: (よいことにおいて)施し、(アッラーの禁じられた物事 から)身を控え、最も美しきもの(イスラーム)を心から信 じる者は、われら(アッラーのこと)がよい行いを容易いも のとしてやろう。一方吝嗇し、(来世の享楽より現世の欲望 や)富を追求し、最も美しきもの(イスラーム)を嘘とする 者は、われらが(よい行いをするにあたっての)困難さへと 導いてやろう。 (クルアーン 92:5-10)
しかしこのことは、人が修道僧のようになって飲食や衣服、性 生活などの許された現世的諸事や全てのよき糧を放棄しなければ ならない、ということにはなりません。アッラー(y)はこう仰いま した: 言え(ムハンマド)、「(アッラーが)そのしもべのた めに提供されたアッラーの装飾品と、その糧からのよきもの を禁じる者は何様であることか?」 (クルアーン 7:32)
またアッラーの使徒 は言いました: アッラーは脆弱な信仰者よりも、強い信仰者を愛でられる。 そしてそのいずれも善いのである。あなたを益する行為に熱心であり、かつアッラーのご援助を乞うのだ。そしてそこに おいて怠慢であってはならない。そしていかなる災厄があな たを襲っても、“ああ、もしあのようにしていたらなあ”な どとは言わず、“これはアッラーからの定命。かれはお望み のことをなされる”と言うのだ。というのも“もし”は、悪 魔の行いに通じる扉であるからである。 (ムスリムの伝 承)
W宗教が命じているのは、私たちが人生において中庸の状態にあ ることなのです。アッラー(y)は仰っています: そしてあなたの(施しの)手を(吝嗇さゆえに)首に巻き つけたままにしたり、または(度を越して、施しという)手 を完全に開け広げてはならない。そうすればあなたは咎めを 受けたり、後悔したりするであろうから。実にあなたの主は、 かれがお望みになられる者に糧を豊かにお恵みになり、また 差し控えられる。かれはそのしもべについて、全てをご存知 になり、かつ全てをご覧になられるのである (クルアー ン 17:29-30)
人間とジンの創造の目的
アッラーは人間とジンを、アッラーのみを崇拝するために創造 されました。アッラー(y)は仰ります: そしてわれ(アッラーのこと)はジンと人間を、われを崇 拝させるべくして創造したのだ。われはあなた方からの糧も 欲しなければ、あなた方がわれに食を与えることも望んでは いない。実にアッラーこそがこの上ない御力を備えられ、 (万有に)糧を授けられるお方なのだ。 (クルアーン 51: 56-58)
人間はただ無意味に創造されたわけではありません。アッラー (y)は仰っています: 一体あなた方は、われら(アッラーのこと)があなた方を いたずらに創ったとでも思っているのか?そしてあなた方が (現世での行いの清算のために)わが御許に戻って来ないと でも?しかしアッラーはこの上なく崇高なるお方、真の王で あられる。偉大なる玉座の主であるかれの他に、真に崇拝に 値する何ものもないのだ (クルアーン 23:115-116)
アッラー(y)は人類に対し、異なる時代において、数々の使徒を お遣わしになられました。そしてそれは人類に物事を明らかにし、 彼らをアッラーのご満悦へと至る真っ直ぐな道へと導くためであ ったのです。アッラー(y)は仰ります: 人々は(元来)一つの共同体であった。それからアッラー が使徒たちを、吉報を伝え、警告を告げる者として遣わされ、 彼らと共に真理による啓典を下されたのだ。それは(宗教に 関する意見の)相違に陥っていた人々の間を裁くためであっ たのである。しかし啓典を授かった者たちは、明証が到来し た後に及んでも互いに妬み合い、そこにおいて(意見の)相 違に陥り続けた。それでアッラーは、彼らが真実において相 違していたことに関して(明らかにすべく、)かれのお許し でもって信仰者たちをお導きになられた。アッラーは、かれがお望みになられる者を真っ直ぐな道へとお導きになられる のだ (クルアーン 2:213)
しかしこれは、全人類へと遣わされた預言者ムハンマド のメッセージによって全ての使徒の任務が終了するまでのことで した。アッラー(y)はこう仰っています: 言え(ムハンマド よ)、「あなた方が、かれ(アッラー のこと)に同位者として並べ、共にしたものを見せてみよ。 いや、決して(そのようなことは有り得ないのだ。)かれこ そは、偉大かつこの上なく英知溢れたアッラーなのであ る。」 (クルアーン 34:27)
人間がそれゆえに創られた任務とは、明瞭かつ決定的なもので す。人間はその創造主であるアッラーを崇拝するために、創られ たのです。それで、たとえ人生において有する享楽の数が微々た る物だったとしても、自分自身が創造された理由ゆえに人生を利 用する者は、真の幸福を勝ち取ります。一方で自分の人生を、自 分自身が創造された理由ゆえに利用しない者が見出す者は、損失 と心理的問題、不安、悲しみのみなのです。それは、たとえ彼が この世における全ての享楽や喜びを一手にしていたとしても変わ りません。アッラー(y)はこう仰いました: …そしてもしわが御許からあなた方に導きが下った時に、 わが導きに追従する者は迷うこともなく、不幸になることも ないであろう。しかしわれの訓戒から背き去る者には、実に 苦しい生活が待ち受けている。そして更に、われら(アッラ ーのこと)は審判の日に彼を盲目にして蘇らせよう。 (ク ルアーン 20:123-124
この宇宙に存在するものは全て、明瞭な目的と英知、偉大な利 益のもとに創造されています。それは、人がそのことを理解して いるかどうかに関わりません。アッラー(y)は仰っています: そしてわれら(アッラーのこと)は天地と、その間にある ものを、無意味に創ったのではない。それは不信仰者の憶測 なのである。不信仰者に業火の災いあれ。 (クルアーン 38:27)
アッラー(y)への崇拝は、かれのご命令を遵守し、またかれが禁 じられた物事を回避することで完遂されます。そしてそれらは、 アッラーの定められた法規定に則って成されなければなりません。 アッラー(y)はこう仰っています: そしてこれこそ真っ直ぐなるわが道。ゆえにそれに従うの だ。そして(真理以外の別の)道に従ってはならない。そう すればあなた方はかれ(アッラーのこと)の道から、離れ離 れに遠ざかってしまうであろう。これこそかれ(アッラー) が、あなた方に命じられていることなのだ。あなた方は恐ら く畏れることであろう。 (クルアーン 6:153)
そして宗教においては何者も、意図的であるかそうでないかに 関わらず、アッラー(y)がお定めになられていないようなことを語 ってはなりません。アッラー(y)は仰っています: そしてアッラーにこそ美名が属するのであるから、それを もってかれに祈願するのだ。かれの美名をないがしろにする ような輩は放っておくがいい。いずれ彼らは自分たちが行っ ていたところのもので報いを受けるだろうから。 (クルア ーン 7:180)