イスラム教& それは柱です

審判の日に受け入れられる宗教とは、人を永遠の幸福の中での 生活とアッラーのご慈悲へと導き、かつ永劫の悲惨さから救って くれるものとなるでしょう。そしてそれこそは預言者ムハンマド (y)に下された、イスラームという宗教なのです。

イスラームとは何か?

イスラームとは、預言者ムハンマド(y)に啓示された宗教で す。他の全ての宗教は、それでもって取って代わられたのです。 アッラー(y)はこう仰りました: かれ(アッラーのこと)こそは、導きと真理の宗教をもっ てその使徒(ムハンマド )を遣わせられたお方。そしてそ れはたとえシルク12の徒が厭おうとも、全ての宗教の上に君臨 するのだ。(クルアーン 61:9)

そしてイスラームこそは、アッラーから受け入れられる唯一の 宗教です。かれは、イスラーム以外の宗教をお受け入れにはなら れません。アッラー(y)はこう仰ります: …そして件の派閥(不信仰者たち)の内で、それ(クルア ーン)を信じない者たちの約束された場所は、(地獄の)業 火なのである。(クルアーン 11:17)

イスラームとはアッラーへの服従と、その唯一性への信仰、か れのご命令に進んで従順に従うことであり、そしてシルクを否定 することです。イスラームは数億もの信徒を擁する宗教です。果 たしてこれだけ多くの信徒が間違った道を歩んでおり、そうでは ない人々が正しい道にある、などとどうして言えるでしょうか?

またイスラームは現在、決して適切な形で布教されているわけ ではないにも関わらず、人々が挙って改宗している宗教でもあり ます。また一度イスラームに改宗した後、棄教するのは非常に稀なケースです。預言者ムハンマド(y)が遣わされた後、イスラ ーム以外のいかなる宗教もアッラーによって受け入れられること はありません。アッラー(y)はこう仰っています: そしてイスラーム以外のものを宗教として望む者は、決し てそれを受け入れられない。そして彼は来世においては損失 者の類いなのである。 (クルアーン 3:85)

また預言者ムハンマド は、こう言っています: ムハンマドの魂がその御手に委ねられているお方(アッラ ーのこと)にかけて。ユダヤ教徒であろうとキリスト教徒で あろうと、私のことを耳にした者で、私が伝達するものを信 じなかった者は、地獄の民となるであろう。 (ムスリムの 伝承)


イスラームの主要な基幹(いわゆる五行)

イスラームは言葉や行動、信仰などからなる様々な種類の崇拝 行為を義務付けています。そしてその内の、言葉と行動に関する ものが一般に「イスラームの基幹」と呼ばれるものです。これら の要素いかんで、その者がムスリムかそうでないかが決定される といってよいでしょう。

イスラームはその信徒が、単にそれらの崇拝行為を遂行するこ とを勧めているわけではありません。それらの行為は人の魂を清 め、正しい状態に保つものなのです。崇拝行為を行うことの裏に 秘められた目的は、自らを矯正し、真っ直ぐな正しい道を固守す ることです。アッラー(y)は、サラー(礼拝)に関してこう仰って います: 実にサラー(礼拝)は醜行(非合法な性交渉など、あらゆ る種類の大罪)と悪事(不信仰やシルクなど、あらゆる悪 行)を妨げる。 (クルアーン 29:45)

またザカー(義務の浄財)については、こう仰っています: 彼らの財産から施しのためのものを取り、それでもって彼 らを(罪から)清め、浄化してやるのだ。 (クルアーン 9:103)

またサウム(斎戒、いわゆる断食)については、こう仰られま す: 信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも定められた ように、あなた方にもサウム(斎戒、いわゆる断食)が課せ られた。(それによって)あなた方は敬虔さを獲得するであ ろう。 (クルアーン 2:183)

そしてハッジ(大巡礼)については、こう仰ります: ハッジ(の季節)は周知の数ヶ月である。それでその間に ハッジをしようとする者は、淫らな言動や罪深い行いや言い 争いをしてはならない。 (クルアーン 2:197)

崇拝行為はイスラームにおいて、ムスリム社会における結束と 団結を維持するだけでなく、個人の人格とその向上における中心 的な役割を担っているのです。


二つの信仰証言

これは「アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー、 ワ・アシュハドゥ・アンナ・ムハンマダン・アブドゥフ・ワ・ラ スールフ(私はアッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、ムハ ンマドはそのしもべであり使徒であることを証言する)」という 証言のことです。そしてこの証言こそが、イスラーム改宗の鍵と なります。

この証言の最初の部分「アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・ イッラッラー(私はアッラーの他に真に崇拝すべきものはないと 証言する)」は、以下のような意味を含みます:

  • アッラーが全ての存在の唯一の創造主であること。
  • アッラーが存在する全ての存在の真の所有者であり、かつそ の諸事を司る存在であること
  • アッラーのみが崇拝されるに値するということ

二番目の信仰証言「アシュハドゥ・アンナ・ムハンマダン・ アブドゥフ・ワ・ラスールフ」の意味は、彼がアッラーのしも べで、その啓示を授かった使徒であり、また彼が全人類に対 してそれを伝達することを命じられた最後の使徒である、と いうものです。彼の後には、文字通りいかなる使徒や預言者 も到来しません。またこの証言には、ムスリムが彼の命令に 従い、彼の言葉を信じ、彼が禁じたものを回避するというこ とも含まれてきます。


サラー(礼拝)

ムスリムはサラーという手段を通して、その主との関係を維持 します。そして現世的享楽に埋没したり信仰心が弱くなったりし た時に、サラーを思い起こさせるアザーン(サラーへの呼びか け)が聞こえてくるのです。サラーは信仰心を高めます。そして サラーを通して、人はその創造主との間の継続的関係を保つので す。

ムスリムは昼夜に五回の義務の礼拝をします。男性は何らかの 正当な理由がない限り、モスクで集団礼拝に参加します。ムスリ ムはサラーの場を通して互いに知り合い、相互の愛情と結束心を 高めるのです。彼らはこうして日常的に、同胞の状況を知ること が出来ます。誰か姿の見えない者がいれば、病気になったのでは と考え、彼の家を訪問することもあり得ます。また誰かが何らか の義務行為において怠っているような部分が認められるのであれ ば、周りの者が何らかのアドバイスを贈ったりすることも出来ま す。サラーにおいてムスリムは、社会階層などの社会的差異や人 種、血統など関係なく、真っ直ぐな列を作って 1 つの方向(マッ カのカアバ神殿)に向かい、隣り合って立ちます。アッラーの御 前で、彼らは皆一様に平等に服従するのです。

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ザカー(義務の浄財)

ザカーとは、比較的豊かなムスリムが貧しい者に物乞いの辱め を味わわせないようにするべく拠出する、ある一定額の財産のこ とです。これはある一定額の財産を有する全てのムスリムにとっ ての義務です。アッラー(y)はこう仰いました: そして彼らは純正な宗教の徒として、彼らの宗教をアッラ ーのみに真摯に捧げて崇拝し、サラー(礼拝)を行い、ザカ ーを施すことしか命じられてはいなかったのだ。そしてそれ こそは正しい宗教なのである。 (クルアーン 98:5)

尚、ザカーが義務付けられる条件には以下のようなものがあり ます:

  • 最低限の財産を所有していること:つまりその財産が、イ スラーム法によって定められたある一定の額や量に達していなけ ればなりません。
  • その財産を一年間通して所有すること:もしこの期間内に その財産が所有下から外れた場合、ザカーはかかりません。

またアッラーは、ザカーを受給する資格のある者たちについて も明確にしています。アッラー(y)はこう仰いました: ザカーは貧者と困窮者、ザカー(の徴収)に携わる者、 (それによって)心に親愛が生まれそうな者、奴隷の解放、 債務に苦しむ者、アッラーの道にある者、そして旅人に与え られる。(それは)アッラーからの義務である。アッラーは 全てをご存知で、かつ英知溢れるお方。 (クルアーン 9: 60)

一定の規準額に達した財産で連続一年間所有下にあったものは、 その年にその額の 2.5%を支払わなくてはなりません。イスラー ムはこれによってムスリム社会からの貧困の根絶を狙っているの であり、また窃盗や殺人や他人の名誉の侵害など、貧困に伴う 様々な危険を防止するのです。またザカーは貧者のニーズを満た すことにより、ムスリム社会における相互扶助や同胞愛の精神を も育むのです。またザカーはある程度裕福な者の心から吝嗇や自 己中心性、貪欲さやこの刹那的な現世への固執、欲望の耽溺など、 窮状にある同胞を忘れ去らせるような全ての要素を取り除いてく れるのです。


ラマダーン月のサウム(斎戒、いわゆる断食)

そしてまたザカーは貧者の心も、富者に向けられる憎悪や嫉妬 などの感情から浄化してくれます。彼らは豊かな者たちがアッラ ーの命に従って財産を施し、喜捨や善行などによって継続的に彼 らに配慮を払うのを目にするのです。


ムスリムは一年に一度のラマダーン月(ヒジュラ暦 月)に、 一ヶ月間のサウムをします。そしてその間は最初の夜明けから日 没まで、飲食や性交渉などのサウムを無効にする行動を慎むので す。実のところサウムはイスラームによって初めて紹介されたも のではなく、それ以前の宗教においても定められていました。ア ッラー(y)はこう仰っています: 信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも定められた ように、あなた方にもサウムが課せられた。(それによっ て)あなた方は敬虔さを獲得するであろう。 (クルアーン 2:183)

サウムの目的は、単にサウムを無効にする物質的・精神的物事 を回避するだけではありません。実際のところムスリムはサウム している間、嘘や陰口、噂話の触れ回りや詐欺、下品な言行やそ の他諸々の有害な振る舞いなど、その報奨を減じるような目に見 えないあらゆる物事を放棄しなければならないのです。そしてサ ウムする者は、これらの有害な行為がラマダーン月以外の時期に も放棄すべきことを肝に念じ、特にラマダーン月においてそう努 めなければならないことを念頭に置かなければなりません。預言 者ムハンマド(y)はこう言っています: 「アッラーは虚言とそれによる行いを放棄しない者が飲食を 断つことなど、お求めにもならない。 (アル=ブハーリー の伝承)

またサウムは、魂と欲望の間の戦いでもあります。そしてアッ ラーの使徒 が次のように言っている通り、そこには多くの社 会的利益も含まれています: 「アッラーは仰られた:“アーダムの子ら(人間)の全行動 は、彼ら自身のものである。但しサウムだけは別で、それは われゆえのものであり、われはそれに報奨を使わすのだ。そ してサウムとは、盾である。あなた方がサウムする際には、 悪い言葉を口にしたり、大声を上げたり、声を荒げたりして はならない。そしてもし喧嘩を売られたりしたら、こう言う のだ:「私はサウムをしている。」ムハンマドの魂がその御 手に委ねられているお方にかけて。サウムしている者の口臭 は、アッラーの御許において麝香の香りよりもよいのである。 サウムする者は、倍の喜びを得よう。一つはサウムを解く時 の喜び、そしてもう一つはその主と謁見した時の喜びであ る。” (アル=ブハーリーの伝承)


またサウムを通して、人は十分な食事や衣服や住居を所有しな い貧しい同胞の気持ちを理解します。そしてこのことが人を、彼 らへの義務を果たし、彼らのニーズや状況に常に注意を払うこと へと促すのです。


ハッジ(マッカへの大巡礼)

ハッジとは、ある特定の時期と場所において特定の儀式を行う ために、聖なるアッラーの館(マッカのカアバ神殿)へと巡礼す ることです。この基幹は正常な理性を備えた全ムスリム成年男女 に課されますが、身体的・経済的にそれを遂行するに十分な能力 を有していることが条件になります。

それでもし十分な経済的能力があっても回復の見込みが薄い病 気を患っているような場合は、誰か他の者にハッジの代理を依頼 しなければなりません。そしてもし自分自身、あるいは自分が扶 養する者たちを毎日賄う以上の経済的余裕がないような者には、 そもそもハッジの義務は課されません。アッラー(y)はこう仰いま した: そしてそうすることが出来る人々には、その館(マッカの カアバ神殿)を訪問するアッラーへの義務がある。それを否 定する者があっても、実にアッラーは何ものをも必要とされ てはいないのだ。 (クルアーン 3: 97)

ハッジは、イスラームにおける最大の会合です。世界中のムス リムが同時期に一つの場所に集結し、同じ主を呼び、同じ衣服を まとい、同じ儀式を行い、以下のような同じ賛美の言葉を唱えて 声を上げるのです。

「ラッバイカッラーフンマ・ラッバイカ、ラッバイカ・ラ ー・シャリーカ・ラカ・ラッバイカ、インナル・ハムダ・ワ ン・ニゥマタ・ラカ・ワル・ムルク、ラー・シャリーカ・ラ カ」

この意味は以下の通りです: 「アッラーよ、あなたの御許に馳せ参じました。あなたの御 許に馳せ参じました。あなたの御許に馳せ参じました、あな たに並ぶものはありません。あなたの御許に馳せ参じました。 称賛と恩恵と主権は、並ぶものなきあなたにこそ属しま す。」 (アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

ここに貧富や貴賎、肌の色の差やアラブ人であるかそうでない かなどの差はありません。皆アッラーの御前に等しいのです。人 には敬虔さ以外に何の格差もありません。ハッジは全ムスリムの 同胞愛と、その希望と感情の結束が強調される、一大イベントな のです。